あおの記録

不妊治療、日々の生活、介護、お仕事などで感じたことの記録

判定結果とさよならと

久しぶりの更新になります。更新しようと思っていましたが、なかなか気持ちの余裕が出なくてのびのびになりました。

 

判定結果はダメでした。

何となくダメかなと少しは思っていましたが、改めて言われるとショックでした。ダンナさんも思いの外ショックだったようで、彼の気持ちの変化に驚きでした。いつも飄々としているので、あんまり何も思わないのかと思っていたので。

 

結果を聞いた日はショックで早めに休んで、次の日に更新しようと思っていました。

次の日の早朝、母方の伯父が亡くなったと連絡があり、色々とバタバタとして更新が今になりました。

 

2月末に入院したと聞き、両親とお見舞いに行きました。癌で見つかったときは末期だったそうです。伺った時も熱があり、しんどそうで話すことはできませんでした。頻繁に会っていませんでしたが、病気の母のことも気にかけてくれていました。お見舞いの時も、伯母さん(母の長姉)が「嬉しそうにしてた」と言っていたので連れてきてよかったなと思いました。少し覚悟はしていましたが、やっぱりショックでしたし悲しかったです…。

ショックを受けていましたが、お通夜や葬儀に出るための準備で大変でした。母が車いす生活になって初めてのことですので色々と大変でした。着替えも一苦労。父と二人がかりでした。ストッキングは無理なので、レギンス+靴下という形にしました。これはフォーマルウエア売り場の方にアドバイスを頂きました。パッとみてわからないので大丈夫ですよと。トイレの介助がスカートは大変で、基本的に二人がかり。ただ、父が洗濯ばさみを使えば一人でも出来ることを発見していました。父おそるべし。

会場に行くと、母の姉たちは介助が必要な母がいるので父や私に「ごめんねー大変やのに」と気を遣われてしまいました。それはそれで申し訳なくなってしまいました。

 

人が亡くなるのは悲しい。伯母さんが泣いていないのに私が泣くのもと思って少し我慢していましたが、火葬場での最後のお別れの時にはやっぱり泣いてしまいました。いつも明るくて時々余計なことも言ってしまうお茶目な伯父さん。もう会えないのかとおもうと本当に寂しくなりました。

火葬場で待っている間、私たちの待合いは笑い声が漏れる部屋でした。いとこの奥さんが「他の部屋は静かでしんみりしてる感じですけど、ここはにぎやかですね」と。

「あぁ、それは(母たち)三姉妹が揃うといつもにぎやかになりますから」と私。

「そうなんですねー。義父も明るい方だったから、にぎやかな方が喜んでいますね」母たちのにぎやかさに慣れているので何も思わなかったですが、そういう風に思ってもらえると少しうれしくなりました。

 

この二日間、色々なことを考えました。覚悟はしているけれども、いつかは自分の親とお別れがきてしまう。母は病気がわかってからはそのいつかがとても近く感じるようになりました。そのいつかの時までの時間はあとどれくらい残っているのだろう…私は両親に親孝行ができるのだろうか…その時が少しでも先であって欲しいと。

今回の移植はダメだったけど、次は上手くいって、早く両親に孫を抱っこさせてあげたい。次の移植は状態をみてからと言っていました。もう生理も終わりかけ。なるべく早く移植したいな。